皆さんこんにちは。
自称シニアの星、永遠の若さを手に入れるべく今日もサプリを摂取し
適度なエクササイズとチントレに勤しむグランドマスター世代の代表ひろゆきです
今日はちょっと昔の話になりますが、俺氏が香港駐在時代に逢瀬を重ねた
外国人女性について書き記しておこうと思います〜
異国の女性は日本人のソレとはまた異なる部分があるので
ちょっとした参考になればと・・・ならなかったらゴメンなさい笑
時は十数年前に遡る、国際金融都市香港での思い出
当時俺氏は四十代前半だったと思うのですが、
以前勤めていた広告会社にて、中国のリソース開発を目的に
香港に駐在していた時期がありました。
今でこそ香港は中国共産党の監視下に置かれたようになってしまい
SNSでの情報発信なども、政府の批判等は御法度で誰もモノを言えない社会となってしまいましたが
いわゆる「イエローアンブレラ」の市民デモが起きる前は
本当に自由と活気に溢れていて、正直この世の天国と思っていた時期がありました。
同世代のアニキ達は、ジャッキーチェンの時代の古き良き香港を思い出すかもしれませんが
洗練された都会的な一面や、アジアの金融ハブとしても栄えていた事から
多くの欧米人も駐在していたり、ヒップでラグジュアリーな一面もあって
それはそれは、華やかな国際都市として栄えていたんですね〜
もちろん今でもその姿は変わらず、多くの人々が往来する国際都市ではあるんですけど
中国の見えない勢力に覆われている怖さはありますよね・・・
当時俺氏は会社の用意したサービスアパートメントに住んでいて
普通のホテルの長期滞在ルームというか、キッチンなどの設備も完備された
ある意味豪華な暮らしをしていたんですよ〜
窓の外には対岸に見える香港の夜景、チャイナバンクタワーがよく見える
ある意味勘違いしてしまいそうな暮らしを単身赴任でしていた事もあり、
勘違いしてしまいそうではなく、勘違いしていました爆
若さもあったんでしょうね〜ハイ、調子に乗っていたのは事実です笑
そんな俺氏は赴任して暫く経った頃、週末に一人の寂しさもあり
なんとなく、ガールフレンドを作りたいなと思い立った訳で
現在在住の日本人でもいいし、外国人なら尚面白いかなと思って
幾つかの友達募集サイトに網を張ってみたのでした。
当時はまだ現在の「マッチングアプリ」みたいなものは存在せず(多分)
現地の日本人情報交換サイトみたいなものだったり、ちょっと有名どころで
アプリではないですが、「ワールドフレンズ」という国際交流サイトがあったのです。
こちらに登録をして(当時は無料だった様な)
なんとなくフィーリングが合いそうな女性がいたらメッセージを送ってみるなどして
「会える」タイミングを模索していたんですね〜
そんな中、とある一人の香港女性がヒットして
何度か会話をしているうちに、「じゃあ、会いましょうか」となったので
胸をときめかせながら待ち合わせのホテルのロビーへ向かったのです
(ホテルと言ってもラブホテルではなくちゃんとした五つ星ホテルのロビーですけどね 笑)
出会いサイト「World Friends」で出会った香港女性
待ち合わせの場に現れたのは、細身で小柄な香港女性、ミドルネームは「Pinky」という
ナチュラルメイクでショートカットの、どこか小悪魔感のある女性でした。
歳は自分より8歳年下だったと思うので、肌艶も若く
笑顔がたまらなく魅力的な可愛らしい女性でしたね。
正直予想以上に美人さんだったのですが、何故こんな子が?と思ったのですが
彼女曰く、「日常が退屈で刺激的な出会いが欲しかった」と言っていましたね〜
しかも彼女は結婚していて、旦那が香港警察で働いていると・・・
これってもしバレたら大変な事になりますよね 汗
それでも「出会い」を求めるモチベーションがそういったリスクをかえり見ず
男女の想いは危険な方向へと向かってしまうのです 苦笑

彼女には家庭があったので、月1回程度仕事終わりに食事をして
そのまま俺氏のサービスアパートメントで逢瀬を重ねるといった秘密のデートが
駐在している間続きました。
大手を振って会うことが出来ないもどかしさを感じましたが
とても魅力的だった事もあり、一緒に食事をしたり街をブラブラしているだけでも楽しかったです。
いたずらな笑顔に翻弄されつつも、大人の関係を続けていました。
私が帰任後、彼女は仕事の関係でドバイに駐在していた時期があった様ですが
今はどうしているのでしょう・・・
いつまでも、魅力的であってもらいたいなと
懐かしい思い出です。
韓国クラブのお姉さんとも大人の関係に
当時の香港には多くの日本人企業戦士が駐在していた関係もあり
多くの「日本人向けクラブ」が点在していました。
香港島だと湾仔あたりの中心部や、九龍(クーロン)サイドだとダウンタウンになりますが
チムサーチョイといった街の中心部に多くのクラブが点在していましたね。
自分は部屋がホンハムというチムサーチョイから徒歩圏にあるエリアだった事から
ナイトライフはダウンタウンのエリアに良く出没していました。
そこには、香港でも歴史のある日本人向け韓国クラブがあり
多くの韓国人女性が出稼ぎに来ていたのです。
当時の香港は彼女達からしたら比較的稼ぎの良い外国都市だった様で
海を渡りはるばる香港にまで働きに来る子が多いと聞いていました。
こちらのあるクラブで知り合った、当時同世代の女性とは
決して美人ではなかったもののフィーリングが合い
お店終わりで彼女は良く自分の部屋に泊まりに来ていましたね 苦笑
彼女達の住居はやはり働きに来ている韓国女性が複数人で一つの部屋に暮らさなければならないという
お世辞にも居心地の良い住環境ではなかった様で
度々自分の部屋に来ては、「ずっとここに住んでいたい」と呟いていましたね〜
勿論、クラブガールなのでちょいちょい店に行ってあげないといけなかったり
お金の掛かる部分はありましたが、当時は俺氏も羽振りが良かったので
都合の良い女遊びの相手には、具合が良かったのかもしれませんね 苦笑
韓国人女性は往々にして、日本人女性より渾身的ですし
自分が好きになった相手にはとことん尽くしてくれる部分があったりするので
彼女もとても良い子だなと思ってました。
あと、特筆すべきは肌がとてもキレイでした
これは全体的に韓国女性に言える事かもしれませんが、色白で肌年齢が実際の年齢を考えると
非常にもちもちしてキレイだなと感じていました。
年齢的には自分のチョイ下だったと思うのですが
若い子に負けない透明感がありましたね〜
彼女も年齢的にはそこそこいい歳になっているので
幸せに暮らしていてくれたらいいな、と時折思い出します・・・

自分の人生の分岐点、海外生活は大きな糧になりました
そんな海外での生活を経て、現在は日本で日々を過ごしている俺氏ですが
異国の経験は(女性関係だけでなく)、自分の人生の大きなターニングポイントだった様に思えます。
色々な意味で動じない、強さが養われた時期だったのではないでしょうか。
何処かでスイッチが入り、何事にもめげない
メンタルの強さがこの時期に身についた気がします。
自分だけの価値観、強かさは
ある意味五十代、人生的には様々な軋轢や我慢を強いられるタイミングではありますが
「そんなもん関係ないや」と思える肝が座ったパーソナリティを鍛えられた時期だったかと。
最後に笑って死ねるかどうかは分かりませんが、
「今を生きるチカラ」は俺氏の人生に必要なものだなって思ってます〜
毎日バカみたいなことをつらつらと書き綴っておりますが
良いことも悪い事も全部自分の人生。
全てに責任を持って、前に進むチカラを幾つになっても蓄えたい。
そんなひろゆきの人生リアリティーショーを通じて
皆さまの人生に「やる気・勇気・元気」を少しでもお届け出来たらと思ってます!
これからも頑張って書き綴っていきますので
面白いな、と思って貰えたらいつでも遊びに来てください。
それでは股!
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